ヒナゲシ(雛罌粟)といったり、秦末の武将・項羽の愛人にちなんだグビジンソウ(虞美人草)や、フランス語のコクリコ(Coquelico)という呼び方もここちよいひびきがします。
いろんな色があるけれどやっぱり赤い花。
中国では、秦の時代の末、追い詰められた項羽は垓下の歌を詠じ、それにあわせて虞は舞い踊り、そのあと自害しました。翌年の夏、虞の墓に赤い花が咲き乱れ、虞美人草と呼ばれるようになったと伝えられています。
ヨーロッパでは死んだ兵士たちを象徴するのも赤いポピー、だから、野に群れ咲く赤いポピーはかつての過ちを忘れないためのモニュメントです。
1918年11月11日は第一世界大戦において連合軍とドイツの休戦協定が締結された日、毎年11月11日に追悼式典が開催されています。戦没兵士を悼んで赤いポピーをかたどった造花などの飾りものがよくささげられています。
よく知られていて、戦時中から債券公募にもさかんに用いられたのが、カナダ軍の将校でもあった詩人、ジョン・マクラー(John McCrae)が1915年に戦死した友人にささげた『フランダースの野において(In Flanders Fields)』でした。
かなりの数の翻訳がネット上にあるのですが、参照しながら自分でも訳してみました。
フランダースの野において
フランダースの野にポピーはそよぐ(In Flanders fields the poppies blow )
よせる波のように連なる墓標のあいだに(Between the crosses, row on row, )
そこはぼくらのやすらぎの場所、
ヒバリはいまでも空高く舞い上がり、勇ましく囀るけれど(That mark our place; and in the sky The larks, still bravely singing, fly )
地表にとどろく砲声ゆえに、わずかに聞こえるだけ。(Scarce heard amid the guns below. )
ぼくらは死んだ…数日まえまで(We are the Dead. Short days ago)
ぼくらは生きていたのだ。朝日を感じ、暮れなずむ夕陽をみつめて(We lived, felt dawn, saw sunset glow,)
愛し、愛されていた。けれども今は(Loved and were loved, and now we lie )
フランダースの野に横たわっている。(In Flanders fields. )
敵との戦いを引き受けてくれ(Take up our quarrel with the foe:)
ぼくらはなえる手からかがり火を投げる。
きみたちがそれを高くかかげられるように(To you from failing hands we throw The torch; be yours to hold it high.)
もしきみたちが、死んでしまったぼくらを裏切ってしまうなら(If ye break faith with us who die )
ぼくらは眠らない、フランダースの野にポピーが生い茂っていたとしても(We shall not sleep, though poppies grow In Flanders fields.)
モネの有名な絵、レ・コクリコ(Les Coquelicos;ヒナゲシ)は第一次大戦前の1873年に公表されました。したがって、モネは、この作品に戦場に倒れた兵士たちへの思いを込めることはありませんでした。
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